仕事についていけないので辞めたい・・・。経験者はどう対処した?

 

みんなの体験談

 

 

@【保育士、22歳 新卒1年目、女性】自分から動けなかった

 

私は保育士になり、幼児の安全を確保したり一緒に遊んだりする毎日を過ごしていました。

 

日々の仕事自体は良かったのですが、イベントの時にどうしても仕事についていけませんでした。周りは先輩ばかりで、イベントの時期が近づくと、どんどん準備を始めていきました。

 

しかし私は、何のイベントがあるのか、イベントで何をするのか、など、何も知らなかったため、自分で聞くしかありませんでした。

 

はじめのうちは聞くことができますが、聞く回数を重ねていくうちに、「そんなこと自分で考えてよ!」というようなことを言われるようになっていきました。

 

そうなると聞くことはできず、かといって自分で考えて動くと、「邪魔!」と叱られてしまいました。

 

イベントがくる度に、仕事についていけない私は、仕事を辞めたいと思うようになっていきました。

 

保育士に経って半年程した頃のイベントの際、そのイベントの準備の頃に、1人の先輩が食事に誘ってくれました。

 

普段から1番気が合った先輩ではありましたが、何故誘われたのかとても不思議でした。

 

そして食事に行ってみると、「仕事についていけなくて悩んでいるでしょ?」と聞いてきてくれたのです。

 

私はその一言にとても救われました。更に先輩は、「私も同じ経験をしたからわかるよ。」と言ってくれたのです。

 

皆が通ってきた道なのだとわかり、自分に能力がないわけではないのだとわかり、とても安心しました。

 

その日以降、辛い時には話を聞いてもらうようになり、ストレスがあまりたまらなくなりました。本当に仕事を辞めようと考えていましたが、もう少し頑張ってみようと思えるようになったのです。

 

仕事についていけない時は、どうしても自分1人で悩みを抱え込みやすくなるものです。

 

なぜなら、仕事についていけないということは自分に能力がないことだと思いがちで、自分に能力がないことを誰かに相談することは勇気がいることだからです。

 

しかし、勇気を出して相談してみれば、ストレスは一気になくなりますよ。自分は1人ではない、自分には味方がいる、と思うことができるからです。

 

私の場合は自分から相談する前に先輩が気がついてくれましたが、基本的には自分から信頼できる人に相談してみましょう。

 

1人で悩みを抱え込みすぎると、病気にもなりかねませんよ。また、辞める決断をするのは、誰かに相談した後にすることをおすすめします。

 

そうすれば、辞めた後悔、辞めなかった後悔を感じることは少なくなりますよ。

 

A【不動産業、30歳 中途2年目、女性】できる自分がイメージできなかった

 

私は、賃貸管理の不動産会社で、物件の解約業務に従事していました。

 

入社当時は、単純な作業が多く、「この仕事向いているかも?」とやりがいも感じていましたが、2年目になり、リーダーが変わってからというもの、一気に業務が増えました。

 

今まで、仕事ができると思っていたのは、前リーダーがリカバリーをしてくれていただけで、自分はひとつの仕事しかできないことに気づいたのです。

 

解約の受付は、かかってきた電話を受け、解約の受付をし、大家に解約の旨通知をする…という仕事だったのですが、それ以外にも細かい業務がたくさんあったのですが、私は大枠の仕事しかしておらず、めんどうな作業はすべて前リーダーがやっており、私自身はそのような業務があることすら知らなかったレベルでした。

 

そして、新リーダーに変わってから、なんとなくついていけなくなりました。

 

新リーダーともなんとなく気が合わず、分からないことが聞きにくい環境になり、どんどんできない、わからないことが増えていったのに、ただでさえもともとの業務量もひとりでこなすようになったため、新しい業務をする機会がそもそもなく、どんどん周りと差がついてしました。

 

(これについては上司から、「前リーダーの教育が悪かった」と謝られたが、状況は変わらずでした)

 

後から入ってきた人が自分より仕事にくわしくなっていくのを見ていると、「自分はいなくてもいいのではないか…」と、もう本気で辞めたくなりました。

 

辞めようか…とも思いましたが、なかなか仕事も辞められず、悩んだのですが、出来ないからにはどうにもならないので、分かる人に積極的に聞くことにしました。

 

正直、「今更何故これがわからないのか」「さぼっていたのでは」「ありえない…」とかなり非難を浴び、「…やっぱ辞めよう」とも思いましたが、うざがられなからも、なんとか教えてもらい、後輩にも恥を捨てて仕事を教えてもらいました。

 

かなり恥ずかしかったですが、わからないよりマシです。内心はどう思われていたかわかりませんが、一応教えてもらえて、本当にイイ人だなと思いました。

 

仕事は最初はよくても、気づいたら周りと差が…なぜ自分だけできなのか…あの時やっておけば…などといろいろ考えることがあるかと思いますが、まず、上司や周りにわからない、悩んでいることを相談してみてください。

 

まともな相手であれば、うざがりながらもきっと教えてくれるはずです。ついていけないのは、頭が悪いとかではなく、自分の中で、まだ、仕事の全体像が頭に入っていないとか、コツがわからないとか、慣れてないだけだと思います。

 

分からないまま進むと、長くいるのに仕事できないヤツになってしまいます…。聞いたことを教えてもらえているうちは頑張りましょう。

 

教えてもらえなくなったら…辞めたほうがいいですね。

 

B【WEBディレクター、28歳 中途2年目、女性】知識が足りなくてついていけなくなった

 

私はWEBディレクターとして WEB関係の制作会社で働いていました。

 

ディレクターなのでクライアントとの話し合いを先頭に立ってし、クライアントの課題やどんなアプローチ(サイトやアプリ)をしたら課題解決ができるかを話し、できたデザイン案などをデザイナーやエンジニアに提案していくという役割でした。

 

私は当初はデザイナーとして転職をしたのですがディレクターが辞めてしまい私が引き継ぎをしなければなりませんでした。

 

突然の役割交代と慣れない仕事で毎日ミスをしたり怒られたりしました。またデザインの知識がそれほどあったというわけでもなかったためクライアントの課題解決になれるような提案もできずデザイナーやエンジニアにも迷惑をかけてしまい、もう辞めてしまいたいと思いました。

 

私は人事に相談をしてデザイナーに戻してもらいました。ディレクターとしての知識がほとんどないまま毎日のようにクライアントと会議をしたりしていたため全然プロジェクトも進まず、上司にも相談をしてポジションを変えてもらったのです。

 

しかし私のミスで響いた受注案件やボツになった企画書などもあったため下のポジションに戻してもらった後も仕事をするのが気まずく、だんだん辛くなったので結果的にはそこを辞めてしまいました。

 

知識を一生懸命詰め込もうとしても仕事がどんどん舞い降りてきて時間もありませんでしたし、仕事をしていく中でさらについていけなくなってしまい、自分だけ置いて行かれた気分に毎日なってしまいました。

 

仕事についていけなくなると不思議と人間関係にもヒビが入ってしまったような気がして毎日仕事に行くのが辛かったです。今では転職もしなおして自分に合った仕事をすることができています。

 

私のように急に部署が変わったり仕事の内容が変わったりして仕事についていけなくなることもあるかもしれません。

 

そして勉強や知識をつけたくても時間がなくてどんどん周囲にも離されてる感覚が出てくるかもしれません。そんなときは我慢をせずに仕事を辞めて自分に合った会社に転職をするのも一つの手です。

 

上司に相談をして現状を解決できるのであれば迷わず相談してみましょう。仕事についていけなくなると自分も辛いですし、周囲にも気をつかわせてしまいます。

 

ネガティブなことを考えてしまい仕事もうまくいきません。そうなってしまうと前向きになることも難しくなってしまいます。

 

上司に相談をして部署を変えてもらったり、辞めてあなたに合った仕事を探してみましょう。

 

C【看護師、40歳 20年目、女性】自分の「やる気」を見直すことが「ついていけない」をなくす第一歩!

 

私が「ついていけない」と痛感した仕事は、40歳になって、初めて挑戦した、大規模な総合病院での看護師のお仕事でした。

 

一つ目の「ついていけなかった点」は「知識と経験」です。これまで、大規模な総合病院での経験がなく、小さな個人病院での経験しかありませんでした。

 

しかも、医療は日々、ものすごいスピードで進歩しています。看護学生の頃学んだ知識は、完全に時代遅れで、役に立たないものがほとんどでした。

 

知識不足に、経験不足が重なり、「ゼロ」からどころか、「マイナス」からの出発であると、認めざるを得なかったのです。

 

二つ目の「ついていけなかった点」は「体力」です。とにかくハードで、体力勝負のお仕事。それに加え、ぜったいにミスの許されない緊張感が、常に伴います。

 

日勤勤務でも毎日残業があり、ひどい時には夜中の2時まで仕事したこともありました。さらには、夜勤勤務もあります。何度も体調を崩し、休日にはただ眠るだけという日々が、続きました。

 

三つ目の「ついていけなかった点」は「やる気」です。今思うに、これが一番大事だったのではないでしょうか。同じように年齢が高かったり、経験がなかったりする人でも知識や技術を習得して、立派にお仕事されている看護師さんはたくさんいらっしゃいます。

 

「ちょっと、がんばってみようかな、お給料もよさそうだし」くらいの軽い気持ちと甘い考えで挑戦したことが、一番の問題だったのかもしれません。

 

自分が、仕事に「ついていけない」と自覚した時には、ずいぶんと悩みました。40歳という年齢ゆえのプライドもありましたし、「ついていけない」と認めれば、看護師としては、今後もうやっていけないのではという不安も感じました。

 

どこか意地になっていたようなところも、あったのかもしれません。しかし、最終的には、先に体のほうが悲鳴をあげ、大病を患って、入院する事態に。そうなって、はじめて自分が、かなり無理をしていたことに気づき、やっと、「ついていけないのだ」と認めることができました。

 

そのまま、退職し、今は再び個人病院で、自分の実力に見合った仕事をしています。

 

現在、仕事についていけなくて、辞めたいと悩んでいらっしゃる方々に、お伝えしたいのは、今「ついていけない」と感じていたとしても、今後「ついていける」ようになるか否かを、しっかりと見極めていただきたいということです。

 

基本的には「やる気」があれば、事態が改善する可能性はあります。

 

しかし、改善するべき課題が多ければ多いほど、そして、自分自身の能力や適性が低ければ低いほど、その道のりは困難なものになります。

 

道のりが平坦ならば、多少の「やる気」でも乗り越えられますが、険しい道のりなら、よほどの「やる気」がなければ

 

乗り越えるのは難しいでしょう。それを冷静に分析することが、もっとも重要だと思います。

 

あなたが、どんな困難にも立ち向かおうと思えるほどの「やる気」を抱えているのであれば、続けて頑張ってみればいいと思います。

 

でも「自分には無理だ」「そこまで、この仕事に執着したいと思わない」と感じるのであれば、方向転換することも、また一つの選択肢なのだと思います。

 

ただ、やみくもに立ち向かっていくだけでは事態は解決しません。あなた自身の「やる気」をもう一度、みなおしてみましょう。

 

D【結婚式場、25歳 中途1年目、男性】体力的についていけなかった

 

私は数年前にわずか数か月ですが、ブライダル業界で働いていました。

 

結婚式場のサービススタッフ(主に式の運営、事前準備など)として働いていました。私のように正社員として働くサービススタッフは数名しかおらず、式の当日は派遣アルバイトを呼んで対応していました。

 

人数がもともと少ないため、結婚式の事前準備などはかなり時間がかかってしまいます。

 

平日は主に週末に行われる結婚式、披露宴の準備や見学に来たお客様の案内など。週末は結婚式の運営そのもの。

 

常にお客様を迎えられるよう手が空いた時は掃除をひたすらやるといった感じです。仕事に対して「ついていけない」と思った点は勤務時間の長さです。他に上げるとすれば会社の方針です。

 

勤務時間は朝10時〜深夜2時くらいが多かったです。決められた休憩時間は無く、手が空いた時に一服をする程度です。この勤務時間の長さは納得できなかった会社の方針と関わってくるのです。

 

例えば会場見学に来たお客様が居たとします。こうなるとスタッフ全員で対応をします。そのため、サービススタッフも準備などの作業を一旦停止します。

 

そしてお客様の対応に当たります。そして会社としてはせっかく来ていただいたお客様を逃がしたくはありません。

 

基本的にお客様が契約の意思を提示するまで帰しません。会場を見学してもらい、料理を試食してもらい、ひたすら交渉する。といった感じです。

 

もちろん会社として利益を出すためとは分かっていますが、長い時間お客様を拘束し契約に結びつけようとする会社のやり方には、ついていけないと思っていました。

 

もちろんお客様が居る間はサービススタッフもお客様の対応に当たっていますので、他の仕事は進められないままです。そしてお客様を見送った後に自分の仕事に戻れます。

 

そのため必然的に勤務時間が長くなってしまうのです。解決するにしても、人材の確保が必要だったり、会社の方針に異議を唱えたり、簡単に解決は出来ないと思いました。

 

しかし、毎日のように長い勤務時間をこなしていくには相当の体力が必要です。

 

結婚式に関われるというのは、とても幸せなことだと思います。しかし自分の体を犠牲にしてまで関わりたいとは私は思いませんでした。

 

私は仕事を辞めることで解決に至りました。同時期に一緒に仕事をしていた社員の方も「自分の体を壊したら意味がない。」と言って辞めていった人たちも居ました。

 

様々な理由で仕事についていけないと思っている方が居ると思います。例えば上司が無茶苦茶な人だったり、会社の方針に共感できないとか、私のように体を壊してしまうとか。

 

「ついていけない」と思っている時点で心は悲鳴を上げています。体は動いても「ついていけない」と思っている時点で既にマイナス思考であり精神的なダメージを受け始めているはずです。

 

自分を守れるのは自分だけです。万が一、うつ病などになってしまえば仕事になかなか復帰できなかったり、後になって後悔することになる可能性があると思います。

 

自分を守れるのは自分だけですし、自分の状況を打破できるのも自分だけです。

 

E【自動車部品メーカー、25歳 新卒3年目、男性】コミュ障すぎて使いものにならなかった私

 

私は大学を卒業後、大手自動車部品メーカーに入社し、とある工場に配属されました。

 

その工場に配属された同期は4人、そのうち1人が私と同じ部署に配属されました。

 

その部署は、工場の生産管理システムを更新するために立ち上げられたプロジェクトチームでした。

 

我々はまだ下っ端ということもあって、社外のSEとの打ち合わせなどには加わることはありませんでしたが、新システムを立ち上げるまで動き続けている、従来のシステムのメンテナンスや、様々な資料作成、その他雑用に追われて忙しい毎日でした。

 

当時の私は、人とのコミュニケーションを取ることに難があり、人の話を聞いて理解することや、自分の考えを理論的に述べたり様々な状況を報告することが全くできませんでした。

 

上述の理由から私は、次から次へと増えていく仕事についていけず、同じ部署の同期との間で、みるみる差が開いていきました。

 

そして事あるごとに、その同期と比較され、辞めたい気持ちが高まりはじめました。

 

仕事についていけるようになろうと思い、実家からでも通える距離ではありましたが、工場近くの寮に入りました。

 

通勤時間が浮いた分を費やして、帰宅してからも仕事の手順をまとめてみたり、イメージトレーニングもしてみました。

 

しかし理解力のない私は、覚えたはずの初歩的な仕事すら十分理解できていなかったり、誤って覚えてしまったために、頻繁にミスを繰り返し、いつも上司から厳しい叱責を受けていました。

 

一方、同じ部署の同期は順調に仕事をこなし、上司や先輩達と一緒に会議にも出席して、意見も言うようになっていました。

 

私は、同期と差をつけられてしまっているプレッシャーと、自分のキャパシティをはるかに超える仕事量をこなしきれなくなって、精神的に参ってしまいました。

 

結局、私はコミュニケーションを必要とする仕事には向いていないと結論を下し、その会社を辞めました。

 

その後は、コミュニケーションを必要としないと考えていた、工場の現場職として大手自動車工場で働くことにしました。

 

しかし、そこでも私のコミュ障が弊害となり、上司や先輩からの指示が理解できず、単純なミスを繰り返しては、周囲からの信頼を失い、その会社もすぐに辞めることになりました。

 

その後も私は、事あるごとに転職を繰り返していました。

 

行く先々でミスを繰り返しては、周囲から冷たい目で見られ、ひどいときにはパワハラも受けたこともありました。

 

そのため、自分の無能さについ自暴自棄になったり、ときには自殺したいと考えたこともありました。

 

ちょうど私が30歳前後のころに「発達障害」が世間にも認知されるようになりました。

 

「この生き辛さは何だろう」と私が思っていた矢先のことでした。当時開院したばかりの発達障害専門の心療内科を見つけて、診てもらうことにしました。

 

結果は「アスペルガー症候群」、そして脳波にも異常が見られ、集中力を持続することができず、衝動性が強いとの診断を受けました。

 

その後、私は障害者手帳を取得し、以前よりも就職難になっていることから、障害者枠にて自分に合った仕事を探し直すことにしました。

 

現在はオフィスワークで、自分のペースでできる作業を行っています。今の職場に就いてようやく、自分に合った仕事に巡り会うことができました。

 

どんなに辛くても、今の会社に必死にしがみつくことが美徳に思われている風潮が、未だ根強く残っていると感じています。

 

無理してしがみついた結果、身も心もボロボロになって、駅のホームから電車に飛び込んでしまう結末になってしまっては、元も子もありません。

 

「自分探し」と罵られるかもしれませんが、無理をせず、自分らしく生きていけるような仕事を探し続けることは、自分にとって非常に価値のあることだと思います。

 

昔に比べて収入は低いですが、今の自分らしい生活には、私は大変満足しています。

 

F【高級スーパー、18歳 高卒1年目、女性】忙しさに余裕がなくなりついていけませんでした

 

私は高校卒業後、上京して働きました。有名な某高級スーパーに勤めることになりました。約2週間の厳しい研修を終えて、それぞれが店舗へ配属されていきました。

 

私が配属されたのは、社内で1番の売上を誇る世田谷の店舗でした。店長さん、副店長さん、とても優しい方々でした。

 

顧客部門とはレジ店員のことです。『お客様が1番最後に通る大切な部門です。気持ちよくお買い物をしていただけるよう、笑顔を絶やさないように!』と研修のときに何度も言われたのはよく覚えています。

 

研修にも来ていた若いレジ店員はサブリーダーでした。にこにこ笑顔で素早く仕事をこなしていました。私もいつか、あんな風になりたい!憧れでした。

 

しかし店内はとても忙しく、まったく余裕がありません。慌ててしまう私は、レジ打ちは間違えるわ、おつりも間違えるわ、毎日なにか1つはトラブルを起こしていました。

 

『レジ打ち遅いんだよ』とおばさんに言われたこともありました。ただ注意だけをしてくれれば良いのに、小姑のようにじめじめと言ってくる店員もいました。

 

何か失敗をするとレジ前や外に呼び出されて厳しく叱られます。周りの目なんてお構いなしに叱られます。私はこれで何度も泣きました。

 

このようなことが重なり、精神的なつらさに耐えられなくなりました。毎日辞めたい気持ちでいっぱいでした。

 

出勤前、最寄りの駅に着くと吐き気と手が震え出します。店の前で車にひかれて死んでやる、と本気で思ったこともあります。

 

精神的にボロボロになった…と感じたとき、病院に行ってみたくなりました。フラフラと入ってみると、泣いている女性の方が診察室からでてきました。

 

本当にこんな人いるんだ…と思いながらぼーっと外を眺めていました。久しぶりに落ち着いた気持ちになれた気がしました。

 

診察の内容は先生の質問に答えていきます。ただそれだけです。私はそれだけで涙が止まりませんでした。

 

診断は鬱病でした。

 

そこで初めて、田舎の母親に弱音を言いました。こんなことがあって、自分は鬱病だと。それまで心配かけまいと言わずに過ごしてきました。

 

家族は無理しないで帰ってこい、と言ってくれました。もう帰ろう!と思った瞬間、心の重さがとれた気がしました。

 

私は結果的に辞めて帰ることで病気を解決することができました。今、自分がしている仕事が好きだったり夢だったりする人は後悔しないように頑張ってみてほしいです。

 

ただ、そんな人は少ないと思います。辞めたいと思っているのなら、無理せずに辞めるのも1つの解決法なのでは?とアドバイスしたいです。

 

1番大切なのは、辞める日まで最後まで責任を持って仕事をすることです。

 

G【飲食店、30歳 社会人10年目、男性】何もしない店長についていけませんでした

 

僕は飲食店のフロアマネージャーとして働いておりました。基本的にお客様からの注文を聞いたり運んだり、後片付け。そしてお酒作りなど。

 

さらに数字やバイトの管理などもやっておりました。

 

その時にキツかったのは、僕はマネージャーと言ってもトップではなく、トップは別に店長というクラスの人がおりまして。実質は彼の方が上にたっています。

 

しかし店長は特に店をまとめるとか責任的な仕事は何もしません。何か店に問題があっても関わろうとせずに僕に全てを処理させます。

 

さらにお店の売り上げが良くない時期に社長から今後の課題を与えられても、彼は文句はかり言って何もしないのです。

 

さらに困ったことは、そんな店長に対して社長は怒りもしません。全部僕に委ねてきて何もしない店長の御機嫌とりばかりしているのです。

 

結果、全てを責任転嫁されて、問題は僕がすべて悪いという空気にさえなりました。

 

もうこんな会社は辞めてやろうと思っていましたが、正直負けず嫌いの僕は何もしない店長に責任者としての自覚を持たせようと意地になっていたのです。

 

僕はこんな辛い目に遭っているんだよと伝えたかったのです。ある意味復讐に近いものがありました。

 

そんな感情で仕事を続けていたのですが、よく考えてみたらお店のお客様は僕のことをとても評価してくれていたのです。貴方がいるからこの店に来てますとハッキリ言われたこともありました。

 

それを思ったときに、お客様のために頑張ろうと思い始めました。お客様を楽しませることが僕の仕事だと。仕事に甘い上司の世話をしていることは時間の無駄だと考え直したのです。

 

それからはどんな責任転嫁も受けてたちました。上司ができないことでも僕はできると意気込んで、信頼できるバイトと共にこなしていきました。

 

結果、さらにお客様は僕に信頼を寄せてくれて、さらに店長もなんとなく反省したのか、仕事の意識が少しはついたような気がします。

 

それからまた数年続けることができました。

 

今同じようなことで悩んでいる方も、接客業はお客様ありきということを中心に考えてほしいです。上司達の御機嫌とりが仕事な訳ではありません。

 

それなりの立場にいるのなら、それなりの仕事をできるということです。そんな自分の実力を信じて、甘さのある上司に仕事というものを見せつけてやるつもりで頑張っていきましょう。

 

仕事をこなしてる人には文句もなにも言えません。そしてお客様達はついてきてくれます。必ず。

 

H【品質管理、28歳 中途3年目、男性】仕事内容ではなく会社の体質についていけなくなった

 

中小企業の製薬会社で品質管理をしていた者です。現在は退職していて他の会社で環境分析をしています。

 

辞めた理由は多々あるのですが一番は会社の経営状況に不安があったからです。品質管理をしていましたが潰しの効くような職種でもなかったので、倒産でもしたらどうやって仕事を探そうか悩むところではありました。

 

品質管理の仕事は標準作業手順書、いわゆるSOP通りに検査をしてその合否をつけていくのですがこのSOPですらしっかりしていませんでした。

 

国からの監査を受けているのでしっかりとした業務形態でなければならないのですが、それすら隠蔽しているような会社についていけなくなりました。

 

昇格も取締役へのゴマスリが一番の近道なのも顕著に見えました。もちろんサラリーマンなので上司への好感度は大事でしょうが、それが仕事の分配今で影響するのは能力軽視のようにも見えます。

 

行き当たりばったりな人事にもなりやすい環境でしたので経営ビジョンがしっかりしているようにも見えませんでした。

 

そんな状況に振り回されて若い時代のキャリア形成の頭に密度の濃いものを望んでいる私には適切な就業状況ではありませんでした。?

 

入社当時から化学分析をしたいと上司に相談は予々していたのですが、人手不足も相まってなかなか受け入れてもらえなかったので転職するしかありませんでした。

 

転職することも上司に相談した時に次の会社も決めた時点ですぐにお話ししたのですが、いい顔をされませんでした。

 

人手不足もありますし気持ちはわかるのですが、こんな土壇場でも従業員の気持ちを汲み取ってくれないのは先々苦しい体質の会社なんだなと思いました。

 

転職先は環境分析業界でも名の知れた会社ですので大満足です。毎日諸先輩方の下で勉強になります。

 

派遣での雇用ですが今の職場でスキルを身につけてから正社員の転職を考えています。これは今の職場も了承済みです。?

 

前の会社では正社員で安定していましたが、今はボーナスももらえないので経済的には厳しいですがストレスは減りました。

 

仕事についていけなく辞めたくなるお気持ちは分かります。

 

ですが、転職は一種の博打のようなものなのでなるべくならお勧めしません。転職をしたい方は仕事が嫌なだけなら、その場所で楽しくしていく方法をまずは考えてもらいたいです。

 

それが今の会社で叶わなかった場合に転職などの環境を変える選択肢をお勧めします。

 

転職する際も前向きに今の仕事場よりいい職場に巡り合えるように行動することがいいと思います。

 

I【販売職 、25歳 入社5年目、女性】営業所や上司のやり方についていけないと感じた

 

当時、店舗で販売員として勤務していました。私の店舗を管轄していた営業所は数ある営業所の中でも特に厳しいことで有名でした。

 

まず、有給申請が自由にできませんでした。具体的な理由がないと認めてもらえず、私用のためでは有給申請は通りませんでした。

 

しかし、計画年休という形で何日間か必ず有給を付与しなければならないという決まりがあり、上司の判断で勝手に有給が割り振られていました。

 

取りたい時に有給が取れず、別に必要のない時に勝手に有給がついてしまうことに納得できませんでした。

 

それから、インフルエンザに罹ってしまい、他の人に感染させない為にも、医者から熱が下がっても2、3日は外出したり、出勤しないでください。菌の感染力が強く、他の人に移してしまいます。と言われました。インフルエンザと診断を受けたときに、店舗に電話をして医者から言われたことを報告しました。

 

そして、1週間休みを許可されましたので、療養に努めました。

 

復帰後、皆の前でシフトの穴を開けてしまい申し訳なかったこと、迷惑をかけてしまったことを謝罪しました。

 

体調管理に十分気をつけるようにします。またよろしくお願いします。と決意表明をし、上司に改めて謝罪後、診断書が必要かどうかを伺おうと思った時に、インフルエンザって熱下がればもう大丈夫なんだよね。熱下がれば動けるんだよね。動けるなら来なさいよ。と言われてしまいました。

 

そんな言い方されるとは思っておらず、言葉が出ませんでした。謝るしかできませんでした。

 

反省文を営業所に提出してと言う事で、反省文を書いた事で、一応許してもらいましたが、インフルエンザに罹って反省文って書くものなのかと疑問に感じ、またも納得できませんでした。

 

体調管理がしっかりできていなかったのは事実かもしれないが、罹ってしまうのは仕方ないこと、好きで罹ったわけでないのに、あんな言い方はない。

 

反省文を提出した時に、インフルエンザになるような弱い人は店舗に立つ資格ない。と言われました。

 

この一言で、今まで我慢していた事が爆発し、退職を決意しました。

 

思えば、入社してから休みの日数を誤魔化されたり、シフト変更の連絡がない、残業代の未払い、営業所から必要書類が来なかったり、いい加減な事ばかりでした。

 

続けていてもこの営業所にいる限りは変わらない、販売以外の仕事をしたい気持ちもあったので、退職の意向を報告しました。

 

そうしたら、かなり引き止められてしまいました。他のところをあちこち紹介されてしまいました。どこも人手が足りないから来て欲しいという、人員不足を解消する為でした。

 

もう販売員として働く気持ちはない事をはっきりと告げ、退職手続きをしてもらいました。

 

この後の退職手続きもいい加減に処理されてしまい、残りの有給はキリのいい数までしか消化されない、退職金が支給されないと言った事があり、辞めてからも営業所に連絡する事が多く、辞めたからと言ってスッキリした気持ちになれませんでした。

 

こういった経験から、少しでもおかしいと感じたら上司に報告する事。疑問をそのままにしておかない事。

 

おかしいと思う事に対しては、はっきりとおかしいと伝える勇気を持つ事が大事だと痛感しました。

 

自分1人で悩みや苦しみを抱えないで、先輩でも同僚でも相談相手を作る事が必要だったと思いました。

 

思うようにいかない事も多いと思います。そんな時こそ、自分から行動できる勇気を持ち自分で切り開くことが大切であると考えます。